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大学受験の感想

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この記事の内容は全部個人の感想です! 本当にしょうもない自分語りでしかないので、 そういうのが苦手な方はレッツ・ブラウザバック!!!

自己紹介

いほろにあと申します。 現在は大学2回生と3回生の間の春休み中です。

大学は京都工芸繊維大学(略称:工繊)というところに行っています。 勉強している分野は情報工学で、 コンピュータのソフトウェアやハードウェアの作り方などを学んでいます。 大学に入学する前までは神戸に住んでいました。

昔からパソコンをカタカタするのが趣味です。 今でも大事なときに限ってパソコンをカタカタするのがやめられず、 大学生活が崩壊しています。 助けてください。

この記事を書いた理由

大学に入りたての頃は、 大学生になってもずっと受験の話をしている奴はダサいと思っていたので、 大学受験の感想をブログに書くということはしませんでした。 しかし、 大学に入ってから2年が経って僕の性格もだいぶ丸くなり(?)、 別に大学生が大学受験に関することに言及しても構わないだろうと思うようになってきたので、 忘れないうちに大学受験の感想をブログに書いておくことにしました。

レギュレーション

僕は受験産業を忌み嫌っているので、 塾には行かないことにしました。 あと、 家族からは国公立大学に行って欲しいという要望があったので、 国公立の前期日程と後期日程だけ受けることにしました。

家族からは浪人だけはしないようにとも言われていたので、 それも考慮して受験する大学を選ぶことにしました。 とはいえ、 もし全落ちしてたら浪人させてもらえたとは思いますが、 僕の怠惰すぎる性格から考えて、 浪人して勉強できる自信が1ミリもなかったので、 言われたとおりにして本当に正解だったと思っています。 多分浪人したら廃人になってました。 浪人して大学に受かっている人は本当にすごいと思います。

大学に入る前までは、 国立大附属のそこそこ良い学校(?)に行かせてもらっていました。 このことは大学受験をする上で相当プラスに働いたと思います。 しかし、 僕はそこでの学校生活をマジで適当に過ごしてしまったせいで、 せっかく与えられた良い環境をだいぶ無駄にしてしまった感があります。 具体的にどれぐらい適当に過ごしてしまったかというと、 自宅での学習は宿題かテスト前日の一夜漬けしかしてませんでした...(アホ) おかげで成績も微妙な感じでした。

結果

物理学が大好きだったので、 物理学科を第一志望にしました。 阪大を受けようと思ったのは、 阪大が主催する高校生向けの物理学のイベントに参加したときに物理学科の説明を聞いて、 良さそうだと思ったのがきっかけです。 阪大の理学部は第二希望の学科を選べるようになっていたので、 せっかくなら第二希望も出しておこうと思い、 化学にはあまり興味がなかったのですが、 化学科を第二希望にしていました。

情報系にも興味があったので、 後期は情報系のところを受けることにしました。 いくつか選択肢があって迷ったのですが、 かつて使っていた Twitter アカウントで FF だったプログラミングのつよい人(?)が工繊に行っていたことを思い出し、 工繊の情報工学課程を受けることに決めました。

結果としては、 阪大は全然駄目で、 工繊に行くことになりました。 まあでも阪大と工繊のどちらも以前からアリやな〜と思っていた大学ではあるので、 結果的には「アリ」な大学に行けたことになり、 良かったのではないかと思います。

エピソード

ここでは、 12月末の最終登校日から大学受験終了までの間のエピソード(?)を書きます。

ぐうたら生活

大学受験は、 行けるところに行ければいいか〜ぐらいに思っていたのもあって、 あまり努力することができませんでした。 共通テストはそれなりの点数だったので、 以前から学校の志望調査に書いていた通りに、 前期で阪大を受験しました。 とはいえ、 僕は化学の覚えないといけない部分が本当に苦手で、 英語も二次試験レベルになると単語が全然わからず、 数学も数Ⅲで出てくる難しめの積分が全然できないという状態で、 阪大は絶対ムリやろうなぁ〜、 でもいまさら先生に志望校を変えるとも言い出しにくいしなぁ〜、 みたいな感じで完全に流されてしまい、 受かる見込みゼロなのに阪大を受験してしまいました。 でも、 後期で工繊に出願すると決めていたので、 まあ工繊には受かるやろみたいな感じで高をくくっており、 あんまり危機感みたいなものはありませんでした。 ちなみに、 工繊の情報工学課程の後期入試は数学と物理だけだったので苦手な化学を回避できたというのも、 慢心に至った要因の一つです。

この危機感のなさのせいで、12月末を最後に学校に登校する機会がなくなってからというもの、 全く勉強に手がつきませんでした。 にも関わらず完全にまぐれで共通テストがそれなりにできてしまったせいで、 余計に慢心してしまい、 阪大の不合格発表まで一切勉強をしないぐうたら生活を送ってしまうことになりました。

北九州へ

ぐうたら生活をしている間にもいろいろ出来事がありましたが、 その中で一番印象に残っているのは、 祖父の葬儀に出席するために北九州まで行ったことです。 北九州は通過したことしかなかったのですが、 移動中にいろいろな場所の景色を見ることができたので、 北九州という街に対する解像度が高まりました。 あと、 そのときに叔父夫婦の家も訪れたのですが、 企業に就職して叔父ぐらいの年まで真面目に働いていたらこういう家が持てるようになるのかぁ、みたいな感想を持ちました。 同時に、 完全に人生を妥協してしまっている自分は、 家を買うとかいうレベル(?)に達するのは一生無理かもなぁ、 みたいなふうにも思ってしまいました。

サイクリング

僕がぐうたら生活を続けることができたのは、 家族が勉強しろとかそういった系統のことを一切言わないでくれたおかげでもあるのですが(まあ高校生にもなるとそういう注意もしてもらえなくなりますよね)、 さすがに一日中パソコンの前に座っているのは、 家族からの「勉強しないで大丈夫なんだろうか」みたいな視線(僕が勝手にそう感じていただけ?)が痛かったので、 日中はサイクリングに出かけて気を紛らわしていました。 確かに当時の僕は受験に対して本来持つべき危機感を正しく持つことができていなかったのですが、 それは「阪大には落ちるけど工繊にはさすがに受かる」という、ただただ当時の自分にとって都合が良いだけの説を半ば盲目的に信じることによって成り立っている心理状態だったので、 頭のどこかには常に「全落ちしたらどうしよう」みたいな一抹の不安がありました。 サイクリングをしている間はそういった不安から開放されることができたので、 もうほぼ毎日、 東は尼崎から西は明石まで、 神戸周辺をママチャリで駆け回っていました。 サイクリングはもともと好きだったのですが、 この時の経験を経てよりいっそうサイクリングが好きになりました。 あと、 もともと大好きだった神戸の街のことが、 もっと大好きになりました。

阪大受験

阪大に入試を受けに行く前の日は、 一応会場の下見に行ったのですが、 久しぶりに電車に乗って遠出したせいでテンションが上がってしまい、 石橋から阪急宝塚本線沿いに売布神社駅まで散歩してしまいました。 途中で新猪名川大橋を見ることができたので、 道路オタクかつ土木オタクな僕にとってはめっちゃ楽しい散歩になりました。 あと、 阪大の近くで在学生(?)が大学生協のチラシとかが入った袋を配っていたのですが、 大量に余っていたみたいで、 気を利かせた(?)僕が、 もうすでに1個うけとっているにも関わらず「2個目欲しいです!!」みたいなことを言ったら、 「ありがとう!! キミは絶対受かるよ!!」みたいなことを言われて3個ぐらい押し付けられました。 僕は「絶対受かるわけないのになぁww」とか思いながら、 「ありがとうございます!! 絶対受かります!!」みたいなことを言って3袋ぜんぶもらって帰りました。

翌日阪大の入試を受けに行ったのですが、 もう本当に全部の問題がめちゃめちゃ難しくて、 全然解けませんでした。 当時、 電力不足が話題になっていたのもあって、 インフラオタクの僕は家で勉強をしているフリをして家族を安心(?)させつつ、 発電所から家庭のコンセントまで3相交流でどのように電力が供給されているのか回路図を書き、 力率を計算するみたいなことを趣味でやっていたのですが、 それと似たような設定の問題が物理で出て、 ラッキー!!と思ったものの、 その問題も結局全然できなくて、 物理だけは自信があったというのもあって、 めっちゃ凹みました。 あと、 英語と数学と化学もマジで全然わかりませんでした。 (これは想定内)

これはヤバい

卒業式の日、 だんだん暖かくなってきた3月の風に対して友達が「あっちいわ」と言っていたので、 当時流行っていた「うっせぇわ」という曲のメロディで「あっちぃ あっちぃ あっちぃわ」と言ったらちょっとウケて嬉しくなった数日後、 阪大の合格発表がありました。 当然のことながら、 落ちていました。 その時点で、 マジで何も勉強してないにも関わらず、 2回目のチャンスにして最後の望みである工繊の入試まであと3日しかありませんでした。 とりあえず過去問でも見てみるか〜と思って、 工繊のウェブサイトからダウンロードした過去問を見てみたのですが、 そのときになってようやく気づきました。 「これはヤバい」

過去問を見てたら、 なんかいきなり「微分可能性を定義に従って調べよ」みたいな問題が出てきて、 「微分可能の定義って何?」ってなったし、 それ以外にも僕が逃げ続けてきた数Ⅲの難しめの積分がちゃんと出題されてて、 ガチビビリしてしまいました。 物理の過去問はそんなに難しくないっぽいしまあ大丈夫やろ...とか思いながら合格最低点を調べてみたら、 物理でそれなりの点が取れたとしても数学が足を引っ張って普通に落ちる可能性があるなということが判明し、 もうその時点から必死で3年分の前期&後期の数学の過去問を解きつつ、 青チャートを片手にあらゆる数Ⅲの積分のパターンを頭に叩き込みました。 多分この3日間が僕が人生で最も集中して勉強した期間だと思います。 結果としてテスト前日には過去問ならまあまあ完璧に解ける感じになりました。

工繊受験

普段は阪急大好きマン(過激派)な僕ですが、 さすがに工繊を受験する日は阪急よりも所要時間が短い JR の新快速を使って神戸から京都まで行くことにしました。 新快速の車内ではずっと青チャートの積分の問題を復習してました。 新大阪から乗ってきた人が松ヶ崎の駅までずっと一緒で、 僕と同じく工繊の受験生だったので、 おお〜!と思いました。

午前中は数学の試験だったのですが、 なぜか例年よりも問題がめちゃめちゃ簡単でした。 僕が受けた年はコロナが直撃した年で、 学校に通えない期間が長かったので、 多分そういった社会情勢への配慮があって簡単な問題になっていたのではないかと思います。 横の席の人が試験時間の後半ずっと暇そうにしてたので、 これは全員点数が高いやつやと思って身構えました。 昼休みにトイレに行ったら、 「めっちゃ簡単やったなー」みたいな声が聞こえてきて、 余計に焦りました。 一方で、 「俺はここ蹴って来年京大目指すわ〜」みたいな会話も聞こえてきたので、 頼むからみんな工繊を蹴って僕が受かるようにしてくれ〜という気分でした。 とはいえ、 それなりに自信を持って答案を出すことができていたので、 まあ大丈夫やろみたいな気持ちではありました。

午後の物理の試験も簡単だったので、 これは受験生の間で点数の差がつかへんやろうなーと思いました。 物理で良い点をとって差をつけようと思っていた僕にとっては、 ちょっと焦らされる感じでしたが、 なんやかんやで数学も物理もうまくいったので、 これは受かったなと思いました。

そんなこんなで無事に試験が終わり、 これで受験は全て終わって4月から大学生になれる、 しかも京都で一人暮らし!というワクワウに包まれながら、 鴨川沿いを四条通まで散歩して、 阪急で帰りました。

合格発表

合格発表の日までは、 マジで受かっててくれ〜〜という感じで、 毎日「受かっててくれの舞」を踊っていました。 合格が分かった時は、 ヒャッハー!!って感じでした。 なにより、 もう京都で家を契約して不動産屋にお金を払ってしまっていたので、 それがパーにならなかったことに安堵しました。

そして、 次の瞬間、 それまで全く頭になかった感情が湧き出してきました。 それは、 自分はこんなにも努力してないのに、 こんな好い目にあって良いのだろうか、 みたいな感情です。 普通に勉強に集中できる環境を与えられ、 良い学校にも行かせてもらえたおかげでそれなりの学力を得ることが出来ていたにも関わらず、 そこに努力による上積みをしなかったせいで阪大には受からず、 工繊で妥協したくせにその結果に大喜びしている自分のクソさに心底嫌気が差してしまい、 この後1年ぐらいこの負の感情にのまれてしまうことになりました。

受験生として過ごした1年間を振り返ってみれば、 コロナの休校期間中も夏休みもずっと遊び呆け、 学校から帰っても無限にインターネットをしていた挙句、 入試直前もぐうたら生活していたのがマジでもったいなかったな、 もうちょっと頑張ってれば人生変えられたのかもな、 みたいなことを永遠に考えていました。 浪人を決めた友達が居る一方で、 たまたま全てにおいて運が良かっただけの自分が好い目にあっているのが本当に意味不明で、 とても申し訳ないと思いました。 あと、 工繊に入ろうと思ってずっと努力してきたのに落ちた人も居るわけで、 そういう人を差し置いて自分みたいなクソ人間が合格してしまっているのも申し訳ないと思いました。

まあでもこの当時の自分は物事を重く考えすぎやろって今となっては思ってます。

結果の分析

勝因

第一志望の大学には行けませんでしたが、 滑り止めの大学には受かったので、 大学受験全体でみれば「勝利」と言っても良いと思います。 この勝利の要因は、 あまり高望みをしなかったことだと思います。 しかし今は妥協さえすれば誰でも大学に合格できる時代なので、 「大学生になれたから勝利」という考え方自体がおかしいような気もしてきました... やっぱ敗北なのかも...

とはいえ、 工繊に受かるのもそれなりに難しいことではあると思うので、 受験生活ラスト3日の頑張りが実を結んだとも言えると思います。 自分で言うのもなんですが、 この3日間の僕はマジですごかったと思います。 というのも僕はこの3日間、 朝起きてから夜寝るまで一切の娯楽に手を付けず、 すべての時間を余すことなく勉強に費やしていました。 この間に、 それまでできなかった複雑な積分の計算がみるみるできるようになり、 また、 ぐうたら生活をしている間に失った「問題を解くための勘」を復活させることもできました。 この3日間の頑張りがなければ、 たぶん工繊にも落ちていたと思います。 このときの経験を通して、 「本気で勉強する」とはどういうことなのか、 人生で初めて分かった気がします。 なお、 このとき覚えた積分のやり方は入試が終わった直後に全部わすれてしまい、 大学に入ってから苦しむことになりました... 付け焼き刃で勉強はしたことは身に付きませんね...

あと、 僕は家では勉強しないタイプでしたが、 学校では割と集中して授業を受けていたため、 どの科目でも授業で扱う基本的な部分はある程度理解した状態になっていました。 直前の付け焼き刃の勉強で工繊に合格できたのはこれのおかげでもあるので、 勝因は「学校で授業をちゃんと聞いていたこと」なのかもしれないです。 まあ阪大には負けてるんですけどね...

敗因

第一志望だった阪大に落ちたので、 そういう意味では僕の大学受験は「敗北」という結果に終わったとも言えます。 敗因は、 やはり妥協をしてしまったことと、 自分の怠惰な性格であると思います。

ところで、 僕の行っていた学校では「卒業研究」という活動があったのですが、 その「卒業研究」で良い評価をもらった人が何人も学校推薦型選抜などで京大や阪大や神大に受かったらしいということが分かっています。 僕は卒業研究をかなり適当にやってしまい(とは言っても結構おもしろいことをしてたとは思っている)、 クオリティの低い論文を書いてしまったので、 推薦とかは一切考えていませんでした。 今になって思えば、 卒業研究をしっかりやって推薦をもらっておくべきだったのかなと後悔しており、 敗因は卒業研究を適当にやってしまったことにあるのではないかという気もしています。

その後

大学という場所は、 大学受験をしっかり頑張って基礎的な学力と勉強する習慣を身に着けた人でないとうまくやっていけない環境になっています。 僕は大学受験を適当に終わらせてしまっているので、 勉強する習慣が身についておらず、 基礎的な学力もところどころ欠けていたため、 大学に入ってからはとても苦しむことになりました。

また、 大学受験でさえも直前の詰め込みで乗り切れたという悪い成功体験のせいで、 あらゆる試験を直前の勉強だけで乗り切ろうとする癖がついてしまい、 試験前に毎回泣きを見ています。 提出物に関しても、 もともと僕はギリギリになってからやり始めるタイプの人間なのですが、 大学受験を経てその傾向がより一層強まり、 レポートなどの宿題は毎回提出の前日に徹夜でやっているため、 生活リズムが終わっています。 本当に助けて欲しいです。

ちなみに、 親は僕が大学に進学すると同時に仕事の都合で九州に引っ越すことになったので、 僕はいま京都で一人暮らしをしています。 人生で初めて自分の部屋を持って、 家族に遠慮せず徹夜できるようになったというのも、 僕の生活リズムが崩壊している大きな要因の一つです。 って言ってもバイトなどの他の要因の方がデカいかもです...

あとがき

以上が僕の大学受験の感想でした。 久しぶりに気合を入れて文章を書いたのでちょっと疲れました。 大学に入ってからは日々やるべきことに追われていたので、 自分の中で大学受験の感想をじっくり整理するということはできていなかったのですが、 この記事を書いたことでそれができたので、 過去と決別する覚悟ができたというか、 未来を向いて頑張ろうという気持ちが湧いてきました。 みなさんも何か後悔が残っているような思い出があれば、 文章にしてみるのはいかがでしょうか。 まあ「いかがでしょうか」と言ってもこんな記事を最後まで読んでいる人が果たして居るのだろうか...というのはありますがw もしここまで読んでくれてる人が居たら、 最後まで読んでいただきありがとうございましたmm

参考資料

この章はおまけです。

共通テストの成績

工繊の成績開示を見て調べたので、 得点調整後の点数です。

合計: 752 / 900

共通テストの成績だけ見たら阪大生みたいですね! あと文系の方が向いてそう(?)

2次試験の成績

阪大の成績開示も見たのですが、 悪すぎたのでデータを残してません。 とにかくめちゃくちゃ悪かったのだけは覚えてます。

工繊の成績開示はこんな感じになってました。

いや数学できてへんやん! 「なぜか例年よりも問題がめちゃめちゃ簡単でした」とは何だったのか... 物理も全然満点じゃないですね... あれ...?

受験当時のツイート

↓ 共通テスト前日のツイートです。 調子に乗ってますね。

↓ 阪大受験前日&当日のツイートです。 この辺は今見ても感慨深いものがある...

↓ 学校を卒業して無職男性になってしまった虚無感の中、 下手くそ(とはいえ気に入ってる)な曲を作ったりもしました。

↓ 阪大の合格発表の時のツイートです。 知 っ て た 。

↓ 工繊受験前日&当日のツイートです。

↓ 工繊の合格発表の時のツイートです。

受験当時ハマっていた曲

花譜ちゃんの「不可解」です。 声が良い! 曲が良い! ピアノバッキングもかっこよすぎ! って感じで、 花譜xカンザキイオリとかいう最強コンビの曲を無限に聴いてました。

当時は歌詞が良いなと思っていたのですが、 大学生になって成人にもなって精神が安定してきたというか、 「しょうもない大人」に仲間入りしてしまったので、 当時ほど歌詞が響かなくなりました。

「過去を喰らう」も好きだったので何回も聴きました。

ただ、 ちょうど受験が終わった頃ゆたぼんが卒業証書を破る動画が話題になっていて、 それを見てからというもの、 歌詞の「破り捨てた卒業証書が」という部分でゆたぼんの絶望的な表情が頭の中をチラつくようになってしまい、 この曲を真面目な気持ちで聴けなくなってしまいました。 ゆたぼん許さん。